CP+2026のセミナーで、金村美玖がふと口にした一言に立ち止まった。「私は私に期待をしすぎない」。セルフポートレートについて語っている文脈だったけれど、その哲学は写真という枠を超えている。巨匠たちと自分を比べることをやめて、自分の目が何を見たいのかに耳を傾ける。そこから生まれる創作の自由についての話だ。

金村美玖は日向坂46のメンバーであり、同時にますます本格的な写真家でもある。この二つのアイデンティティは単に共存しているのではなく、互いを養い合っている。その過程を見ること自体が面白い。

「学びを公開する」19章

2024年秋から、金村は写真専門誌『コマーシャルフォト』で「Create My Book」という連載を続けている。19回を数え、毎回異なるジャンル――セルフポートレート、モノクロ、ライブフォト、フィルム、風景、オールドレンズ――に挑戦し、毎回異なるプロの写真家が講評するスタイルだ。1月に一度のペースでこれだけのジャンルを横断するのは驚異的だし、何より彼女はつまずきを隠さない。

CP+2026――パシフィコ横浜で毎年開催されるカメラ・映像の祭典――のソニーブースで、彼女は『コマーシャルフォト』編集部とともに連載の3つの章を振り返った。2そこで語られたのは、磨き上げられたアーティストステートメントではなく、もっと良いもの――若い写真家が自分の成長をどう捉えているかの、正直な地図だった。

「期待しない」という哲学

セルフポートレートの章に、この哲学の核がある。金村は日本大学芸術学部写真学科で写真を学び、2025年3月に卒業した。大学での制作ではセルフポートレートに深く取り組んだ――三脚とソニーのリモコンを使い、衣装、メイク、ロケハンまで全てを一人でこなした。3

しかし、優れた写真家の作品を学ぶほど、プレッシャーは増していった。ハードルはどんどん上がる。彼女が見つけた解決策は、基準を下げることではなく、期待という構造そのものを手放すことだった。「私は私に期待をしすぎない」は卑下ではない。実験する許可であり、失敗する許可であり、フレームの中に予想外の何かを見つける許可だ。

これは写真を超えて響く。白紙のエディタ、白紙のキャンバス、白紙のターミナルの前で固まった経験がある人なら、自分に課した基準による麻痺を知っているはずだ。金村の答え――ハードルを下げるのではなく、ハードルを見つめるのをやめる――は、盗む価値がある。

間違いが手法になるとき

モノクロの章では、もう一つ魅力的なことが明らかになる。失敗との向き合い方だ。連載の撮影で、彼女は自ら「ミス」と呼ぶことをした――モノクロの課題なのにカラーで撮影し、後処理で白黒に変換したのだ。2

CP+2026で、ソニーブースの観客を前にして、彼女はこれをクリエイティブな選択だったとは言わなかった。ミスはミスだと言い切った。講師の反応は叱責ではなく教え。「光を強調するならコントラストを上げろ」。このエピソードは小さいが示唆的だ。努力の痕跡を見せない完成度を尊ぶ文化の中で、金村は透明性を選んだ。

ここで写真家の好みも表に出た。彼女はアンリ・カルティエ=ブレッソンへの憧れを語った――決定的瞬間、ストリートフォトグラフィーの幾何学。講師はそっと視野を広げた。「ロバート・アダムスもいいよ」。2ニュー・トポグラフィクスの先駆者として人間が手を加えたアメリカ西部の風景を静謐に捉えたアダムスは、ブレッソンの躍動的な都市性とは全く異なるレジスターで仕事をしている。4この示唆は、金村の視覚的語彙が、捉えた瞬間のドラマから、持続的な観察の忍耐へと広がっていく可能性を示している。

2,500枚のフレームが教えてくれたこと

最も印象的な章は、おそらくライブ撮影の実験だ。『コマーシャルフォト』第16回の連載で、金村は日向坂46の4期生公演「新参者」(新宿シアターミラノ座)に潜入し、ライブカメラマンに挑戦した。客席にバレないよう変装し、公演全体を撮影したのだ。5

数字だけでも目を引く――公演を通じて約2,500枚を撮影。機材はSony α1 IIに、24-70mm f/2.8 GM、70-200mm GM、16-35mm GMの3本のレンズ。ゲネプロに立ち会い、照明パターン、セットリスト、動線を事前に把握して本番に臨んだ。5

しかし本当の話は機材やショット数ではない。本番中にリアルタイムでフィードバックを送ったプロカメラマンの田辺さんが、終演後に指摘したこと。金村には多くのコンサートカメラマンにないものがある――ステージに立つ感覚を知っていること。パフォーマーが撮られたい瞬間と、カメラが目をそらすべき瞬間を知っていること。5

これはドメイン専門知識の最も純粋な形だ。パフォーマー経験のないカメラマンでもテクニック、タイミング、構図は学べる。しかし「今、彼女は見てほしいと思っている」という直感は、自分自身があのライトの下に立ったことがある人にしか生まれない。田辺さんの評価は率直だった。「カメラマンとパフォーマーの両方の視点を持ってるからこその撮り方ができる」。5

機材の問いに、正直に答える

金村の機材との付き合い方は、教条的でなく好感が持てる。2020年頃からSony α7IIIを愛用し、40mm単焦点レンズを常用している。セミナーでは、もう手に馴染みすぎて他のカメラが使えないレベルだと語った。2

一方で、ライブ撮影でα1 IIを使った後は率直に言った。「一度使うと戻れない」。愛用のα7IIIがフラッグシップのAF追従や連写速度に敵わないことを取り繕わなかった。違いは違いとして認めた上で、自分のカメラは別の理由で大切にし続けている。2

これは機材偏愛と機材否定の両方を避けた成熟した態度だ。α7IIIは「十分良い」のではなく、6年間の撮影で形作られた自分のものなのだ。α1 IIは素晴らしいが、それは別の関係に属するもの。アマチュアであれプロであれ、多くの写真家がこの区別から学べるはずだ。

フレームの向こうにある夢

セミナーの最後に、金村は静かな夢を語った。日向坂46のメンバーを撮ったポートレートで写真展を開きたい、と。2

この夢は面白い交差点に位置している。アイドルがアイドルを撮る。これは単なるクリエイティブプロジェクトではなく、リフレーミングの行為だ。アイドル産業では、メンバーは圧倒的に写真の被写体であり、誰かのビジョンに従ってポーズを取り、照明を当てられる。金村がカメラの後ろに立ち、自分の目で仲間を撮るということは、そのダイナミクスの静かだが意味のある反転になるだろう。

写真展が実現するかどうかは分からない。しかしその志自体が、金村がどこへ向かっているかを物語っている。彼女は写真をアイドルのキャリアを補う趣味として扱っていない。それ自体で立てるものとして築いている。

ファンダムを超えて、なぜこれが大事か

正直に言おう。僕は金村美玖のファンであり、ここに書いたことすべてにその色がついている。でも、彼女の軌跡には、創作に関わるすべての人に通じる何かがあると思う。

アイドル産業は、最悪の場合、メンバーを交換可能な商品にフラットにしてしまう。金村がやっていること――公に学び、公に失敗し、公に独自の芸術的声を育てる――は、そのフラット化に対する静かな抵抗だ。彼女はシステムに反逆しているわけではない。ただ、システムが彼女をデザインしたのとは違う誰かになっている。

写真は本物だ。成長は記録されている。「期待しすぎない」「間違いを受け入れる」「生きた経験から得た知を信じる」という哲学は、J-POPファンダムの境界をはるかに超えて適用可能だ。

そして、もし彼女が本当に写真展を開いたなら、僕は絶対に最前列にいる。


  1. 『コマーシャルフォト』(玄光社)。金村美玖の「Create My Book」連載。2024年9月頃から開始、2026年2月時点で19回。CP+2026セミナーで言及。参照日: 2026-03-31。 

  2. Sony (Japan). “Create My Book CP+2026出張編 — 金村美玖と写真の「今とこれから」.” CP+2026セミナー、公開日: 2026-02-26。参照日: 2026-03-31。  2 3 4 5 6

  3. 金村美玖は2025年3月に日本大学芸術学部写真学科を卒業。CP+2026セミナーおよび複数のメディア記事で言及。 

  4. Robert Adams. “Robert Adams.” Wikipedia. 参照日: 2026-03-31。 

  5. 日向坂ちゃんねる. “【潜入】金村美玖が”新参者”でライブカメラマンに挑戦!【Sony α1 Ⅱ】.” 公開日: 2025-12-13。参照日: 2026-03-31。  2 3 4